マルクスことマルクス・ビニシウス・デ・モライス(Marcus Vinícius de Morais、1974年2月25日 - )はブラジル出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW、MF。ブラジルではマルクス・ビニシウスとして知られる。
来歴
ECグアラニに在籍していた1997年、カンピオナート・ガウショ(リオグランデ・ド・スル州選手権)で28ゴールを挙げて得点王に輝く。同年に日本のジャパンフットボールリーグの本田技研に加入し、エースストライカーとして活躍、1999年には22得点を挙げ、日本フットボールリーグ得点王に輝く。
2000年にブラジルのクラブへ移籍したが、その後、わずか2年間で5つものチームを渡り歩いた。
2002年に当時J2のアルビレックス新潟へ入団し、エースストライカーとして活躍。2年連続でリーグ得点王に輝き、新潟のJ1昇格に大きく貢献した。しかし、契約条件が折り合わず2004年にJ2の川崎フロンターレへ移籍。川崎では主にMFとして起用されたため、得点数自体は減ったものの、それでも18得点を挙げる活躍をみせ、ここでもチームのJ1昇格に貢献。2005年にはジュニーニョらと共にチームの攻撃の中核を担い、多くのアシストを決めチームの上位進出の原動力となった。
2006年も主力の一人として活躍していたが、またしてもチームの方針と合わず、方針の不一致という理由でシーズン途中に突然チームを離れることになり、6月24日に東京ヴェルディ1969への移籍が発表された。 東京Vでも主に攻撃的MFとして起用され、途中加入ながら5得点を挙げた。
2007年も契約を更新し、 東京Vでプレイするかと思われたが、急遽横浜F・マリノスへの移籍が決まった。しかし開幕戦からの数試合は起用されていたが負傷等で離脱し、以降ベンチ入りメンバーにも選出されない状況となり、同年7月31日の契約期間満了をもって更新をしないとチームが発表。7月11日にブラジルへ帰国した。
エピソード
- 1997年のジャパンフットボールリーグ第23節コンサドーレ札幌戦でGKが手に持っているボールをヘディングで落とし、そのまま蹴りこむという珍ゴールを決めた。得点は認められたが、札幌側からはチャージではないかという激しい抗議が起こった。実際はGKに触れてはいなかった。
所属クラブ
- 1993年 サン・ジョゼEC
- 1994年 アイモーレEC
- 1995年 エスポルチーヴォ
- 1996年 ミジョナリオス
- 1997年 ECグアラニ
- 1997年 - 1999年 本田技研工業
- 2000年 リオ・ブランコEC
- 2000年 グアラニFC
- 2001年 リオブランコEC
- 2001年 ECバイーア
- 2002年 アメリカ-SP
- 2002年 - 2003年 アルビレックス新潟
- 2004年 - 2006年途中 川崎フロンターレ
- 2006年途中 - 2006年 東京ヴェルディ1969
- 2007年 - 同年7月 横浜F・マリノス
- 2007年 ECヴィトーリア
- 2008年 CAジュベントス
- 2008年 サン・ジョゼEC
- 2009年 SERカシアス・ド・スル
個人成績
タイトル
クラブ
- アルビレックス新潟
- J2リーグ:1回(2003年)
- 川崎フロンターレ
- J2リーグ:1回(2004年)
個人
- 1997年 - カンピオナート・ガウショ得点王
- 1999年 - 日本フットボールリーグ得点王
- 2002年 - J2リーグ得点王
- 2003年 - J2リーグ得点王
出典
- Jリーグ出場記録
- 2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2006年、2007年
関連項目
- Jリーグの外国籍選手一覧
- アルビレックス新潟の選手一覧
- 川崎フロンターレの選手一覧
- 東京ヴェルディ1969の選手一覧
- 横浜F・マリノスの選手一覧
外部リンク
- マルクス・ビニシウス・デ・モライス - Soccerway.com (英語)
- マルクス・ビニシウス・デ・モライス - FootballDatabase.eu (英語)
- マルクス・ビニシウス・デ・モライス - WorldFootball.net (英語)
- マルクス・ビニシウス・デ・モライス - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- マルクス・ビニシウス・デ・モライス - J.League Data Siteによる選手データ


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