ラモン・メディナベージョ(Ramón Ismael Medina Bello, 1966年4月29日 - )は、アルゼンチン・エントレ・リオス州グアレグアイ出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元アルゼンチン代表。

経歴

リーベル・プレートでキャリアをスタート、1993年にはゴールを量産してアルゼンチン年間最優秀選手賞を受賞した。

1994年に現役アルゼンチン代表選手として横浜マリノスに移籍、マリノスのアルゼンチン遠征で、直前まで所属していたリーベル・プレートとのフレンドリーマッチに後半から出場し、ゴールを決めるデビュー。マリノスでは同じアルゼンチン出身のラモン・ディアス、グスタボ・サパタと共に元リバー・プレート所属のリーバープレートトライアングルを形成した。1994年3月12日の浦和レッズ戦でJリーグ初出場、初ゴール、8月17日の鹿島アントラーズ戦で決めたゴールは、Jリーグ1000ゴール目のメモリアルゴールとなった。1995年の1stステージではヴェルディ川崎と最終節まで優勝を争ったが、マリノスは最終節で鹿島アントラーズと対戦、この試合で決勝ゴールを決め、マリノスは優勝を決めた。この年はJリーグで21ゴールを決めるなど 、Jリーグでは通算70試合36ゴールの成績を残した。

マリノス退団後はリーベル・プレートに複帰、1996年のインターコンチネンタルカップのユベントス戦ではベンチ入りするなど、ベンチ要員とて、1996年のリベルタドーレスカップ、リーグ優勝や1997年のスーペルコパ・スダメリカーナなどを制した。

アルゼンチン代表では1994年W杯・アメリカ大会の予選では5試合に出場し、4ゴールを決め、本大会出場に貢献、マリノス所属時に出場したワールドカップでは、グループリーグのブルガリア戦、ラウンド16のルーマニア戦でいずれも途中出場した。

プレースタイル

ラボンバというニックネームがつくほど、強烈な右足からのシュートが代名詞であったが、左足でも同じく強烈なシュートを放ち得点を量産、強引な突破からシュートへ持ち込むパターンを最も得意としていた。

個人成績

その他の公式戦

  • 1995年
    • Jリーグチャンピオンシップ 1試合0得点

代表歴

出場大会

  • 1991年 - 1994年 アルゼンチン代表
    • 1991年 - コパ・アメリカ 優勝
    • 1993年 - コパ・アメリカ 優勝
    • 1994年 - FIFAワールドカップ 2試合0得点

試合数

  • 国際Aマッチ 17試合 4得点(1991年-1994年)


タイトル

クラブ

ラシン・クルブ
  • スーペルコパ・スダメリカーナ : 1988
リーベル・プレート
  • プリメーラ・ディビシオン : 1989-90, 1991-92A, 1993-94A, 1996-97A, 1996-97C, 1997-98A
  • コパ・リベルタドーレス : 1996
  • スーペルコパ・スダメリカーナ : 1997
横浜マリノス
  • Jリーグ : 1995
タジェレス・デ・コルドバ
  • プリメーラB・ナシオナル : 1997-98

代表

アルゼンチン代表
  • コパ・アメリカ - 1991, 1993

脚注

関連項目

  • Jリーグの外国籍選手一覧
  • 横浜F・マリノスの選手一覧
  • Jリーグ歴代記念ゴール達成者一覧

外部リンク

  • ラモン・メディナベージョ - National-Football-Teams.com (英語)
  • ラモン・メディナベージョ - Soccerway.com (英語)
  • ラモン・メディナベージョ - FootballDatabase.eu (英語)
  • ラモン・メディナベージョ - WorldFootball.net (英語)
  • ラモン・メディナベージョ - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
  • ラモン・メディナベージョ - FIFA主催大会成績 (英語)
  • ラモン・メディナベージョ - J.League Data Siteによる選手データ

柔らかな左足を駆使したラモン・ディアス【得点王の系譜1】 サッカーマガジンWEB

Sports / J. League Player Card / J. League Chips 1994, 3 rd Issue

ラモン・ディアス 横浜マリノス 全52ゴール Ramón Díaz Yokohama Marinos Todos los

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