ミッキー・バーノン(James Barton Vernon , 1918年4月22日 - 2008年9月24日)はアメリカ合衆国・ペンシルベニア州マーカスフック出身の元プロ野球選手(一塁手)、元プロ野球監督。左投左打。MLBでの20年の現役生活のうち13年半をワシントン・セネターズで活躍した。
経歴
1937年シーズン前にワシントン・セネターズと契約し、1939年7月8日に21歳でメジャーデビュー。第二次世界大戦の従軍のため、1944年から1945年にかけて出場することはなかった。
1946年、打率.353を記録し、2位のテッド・ウィリアムズを1分1厘上回って、初の首位打者のタイトルを獲得。また、リーグ最多の51二塁打を記録し、オールスターゲームに初めて選出され、ルディ・ヨークを抑えて先発出場した。1953年、自己最高となる101得点・205安打・115打点を記録。打率は.337を記録し2度目の首位打者のタイトルを獲得し、アル・ローゼンの打率を1厘差で上回り、ローゼンの三冠王を阻止した。MVP投票ではローゼン、ヨギ・ベラに次ぐ3位であった。
ホーム球場のグリフィス・スタジアムで行われたニューヨーク・ヤンキースとの1954年開幕戦で、バーノンは延長10回にサヨナラ本塁打を放ち、5対3でチームの勝利に貢献。試合を観戦していたドワイト・D・アイゼンハワー大統領はバーノンがお気に入りの選手で、試合後に握手を交わした。
現役最終年の1960年はピッツバーグ・パイレーツで9試合に出場したが、9月30日に解雇された。パイレーツはワールドシリーズでヤンキースを4勝3敗で破り、ワールドチャンピオンとなり、バーノンはコーチとしてその一員になった。
引退翌年の1961年からは第2次セネターズ(現在のテキサス・レンジャーズ)の初代監督に就任し、3年間指揮を執った。
詳細情報
年度別打撃成績 (MLB)
年度別監督成績
タイトル・表彰・記録
- 首位打者:2回(1946年、1953年)
- MLBオールスターゲーム選出:7回(1946年、1948年、1953年、1954年、1955年、1956年、1958年)
- 一塁手としての守備試合数:2237(引退当時歴代2位、現在4位)
背番号
- 34 (1939年 - 1940年)
- 29 (1941年)
- 5 (1942年 - 1943年)
- 4 (1946年 - 1948年)
- 3 (1949年 - 1950年途中、1951年途中 - 1955年、1961年 - 1963年)
- 44 (1950年途中 - 1951年途中)
- 6 (1956年 - 1957年)
- 8 (1958年)
- 15 (1959年)
- 42 (1960年)
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 V
長く在籍したセネターズで同時期に在籍した主なチームメート
- ミッキー・ヘイフナー (投手)
- ジョージ・ケース (外野手)
- バディ・ルイス (三塁手)
- セシル・トラビス (遊撃手)
- エディ・ヨスト (三塁手)
- ピート・ランネルズ (遊撃手)
脚注
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com




