藤原 泰憲(ふじわら の やすのり)は、平安時代中期から後期にかけての公卿。藤原北家勧修寺流、駿河守・藤原惟孝の孫。播磨守・藤原泰通の子。官位は正二位・権中納言。

経歴

後一条朝にて、乳兄弟であった春宮・敦良親王の春宮蔵人から典薬助・左近衛将監を経て、長元3年(1030年)親王の御給により従五位下に叙爵する。その後も、春宮権大進として敦良親王に仕える傍ら、長元7年(1034年)従五位上次いで正五位下と順調に昇進した。

長元9年(1036年)敦良親王が即位(後朱雀天皇)すると、民部権少輔に阿波守を兼ね、さらに長元10年(1037年)禎子内親王が中宮に冊立されると中宮権大進も兼帯した。長暦4年(1040年)左衛門権佐(検非違使佐)に任ぜられるが、この人事について後朱雀天皇、関白・藤原頼通、上東門院の強縁によるものとして批判を受けている。さらに、翌長久2年(1041年)には五位蔵人に右少弁を兼ね三事兼帯の栄誉を得た。

寛徳2年(1045年)後冷泉天皇が即位すると引き続き五位蔵人を務め、永承3年(1048年)左少弁、永承5年(1050年)従四位上・右中弁、永承7年(1053年)正四位下、天喜6年(1058年)権左中弁、康平5年(1062年)左中弁と、後冷泉朝でも弁官を務めながら昇進を続ける。またこの間、近江守・因幡権守・播磨守などの地方官も務めた。康平6年(1063年)蔵人頭(頭弁)に補せられ、治暦元年(1065年)参議兼左大弁に任ぜられて公卿に列した。

議政官の傍らで、左大弁・勘解由長官などを兼帯し、この間に治暦2年(1066年)従三位、治暦3年(1067年)正三位、延久2年(1070年)従二位と順調に昇進。後三条朝末の延久4年(1072年)権中納言に任ぜられ、30年以上の長きに亘って務めた弁官の職を離れた。白河朝初頭の延久5年(1073年)正二位に至る。

承保3年(1076年)病気のために辞表を上申するがまもなく却下される。承暦4年(1080年)には権中納言を辞して民部卿のみを帯びた。承暦5年(1081年)正月5日薨去。享年75。

官歴

『公卿補任』による。

  • 時期不詳:春宮蔵人(春宮・敦良親王)
  • 寛仁3年(1019年) 正月23日:典薬助(春宮御給)
  • 長元3年(1030年) 正月26日:左近衛将監。3月8日:従五位下(春宮御給)
  • 長元4年(1031年) 3月:春宮権大進?。11月28日:中務少輔
  • 長元7年(1034年) 正月6日:従五位上(春宮御給)。6月29日:正五位下(去正月行幸上東門院、判官代賞)
  • 長元8年(1035年) 3月4日:春宮権大進
  • 長元9年(1036年) 6月27日:民部権少輔(前坊大進)。4月:昇殿
  • 長元10年(1037年) 正月23日:兼阿波守(前坊大進)。3月1日:兼中宮権大進(中宮・禎子内親王冊命日)
  • 長暦3年(1039年) 8月:止大進(本宮崩)
  • 長暦4年(1040年) 6月8日:左衛門権佐、止守。14日:検非違使佐
  • 長久2年(1041年) 正月12日:五位蔵人。11月9日:右少弁(三事兼帯)
  • 長久3年(1042年) 4月2日:防鴨河使
  • 長久5年(1044年) 正月24日:兼民部権大輔
  • 寛徳2年(1045年) 正月16日:五位蔵人(新帝)
  • 寛徳3年(1046年) 2月11日:近江守、大輔弁如元
  • 永承3年(1048年) 12月7日:左少弁
  • 永承4年(1049年) 12月:延任近江守(二ヶ年)
  • 永承5年(1050年) 9月17日:右中弁、兼官如元。11月13日:従四位下(朔旦)。11月25日:従四位上(後朱雀院行幸上東門院判官代追賞)
  • 永承7年(1053年) 12月14日:正四位下(悠紀国司追賞)
  • 天喜2年(1054年) 2月:止守
  • 天喜4年(1056年) 2月3日:兼因幡権守
  • 天喜5年(1057年) 2月30日:播磨守、右中弁如元
  • 天喜6年(1058年) 4月25日:権左中弁
  • 康平5年(1062年) 3月12日:左中弁。6月19日:造興福寺長官
  • 康平6年(1063年) 2月27日:蔵人頭(頭弁)
  • 康平7年(1064年) 10月26日:兼近江権介
  • 治暦元年(1065年) 12月8日:参議、左大弁、去介
  • 治暦2年(1066年) 2月8日:兼播磨権守。6月27日:従三位。12月8日:兼勘解由長官
  • 治暦3年(1067年) 正月5日:正三位(後朱雀院坊官賞)
  • 延久2年(1070年) 11月8日:従二位(平野北野行幸行事賞)
  • 延久3年(1071年) 正月28日:近江権守。11月18日:太皇太后宮権大夫(太皇太后・章子内親王)
  • 延久4年(1072年) 12月2日:権中納言
  • 延久5年(1073年) 7月21日:正二位(大弁時造大極殿行事賞)
  • 承保2年(1075年) 12月15日:太皇太后宮権大夫(太皇太后・藤原寛子)
  • 承保3年(1076年) 6月29日:依病上辞状、翌日返給
  • 承暦4年(1080年) 8月14日:辞権中納言。8月22日:民部卿
  • 承暦5年(1081年) 正月5日:薨去

系譜

『尊卑分脈』による。

  • 父:藤原泰通
  • 母:源隆子(源致時の娘) - 後朱雀天皇乳母、従三位
  • 妻:源頼仲の娘
    • 男子:藤原師国
    • 男子:藤原定俊
  • 生母不詳の子女
    • 男子:心覚
    • 男子:憲尊
    • 女子:藤原師家室
    • 女子:藤原保家母

脚注

参考文献

  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年

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