ジャン・バール(フランス語:Jean Bart)は、フランス海軍の弩級戦艦。クールベ級戦艦の2番艦。艦名は通商破壊で名を成したジャン・バールに因む。戦艦としての艦名は最初。

艦歴

ジャン・バールは1910年11月15日にロリアン造船所で起工する。1911年9月22日に進水し、1913年6月15日に就役した。就役後、ジャン・バールはレイモン・ポアンカレ大統領を乗せロシア帝国を訪問した。

第一次世界大戦が勃発すると、ジャン・バールはモンテネグロへの物資輸送支援中の1914年12月21日にオトラント近くでオーストリア=ハンガリー帝国海軍の潜水艦U12によって雷撃され中破したが、航行に支障なく無事に帰還した。その修理は1914年12月26日からマルタで行われた。1918年にはギリシア沖で活動した。

1919年、ジャン・バールはボリシェヴィキに対するセヴァストーポリ作戦に参加した。4月17日には、本艦と姉妹艦フランス、ダントン級ヴェルニョーの3隻はセヴァストポーリ市内の建造物に立てこもり、周りの市民を盾にしている赤軍部隊を撃退するため苦渋の選択として市街地への砲撃を行なったが、この砲撃で一般市民にも多くの死傷者が出た。4月19日から4月23日の間にジャン・バールは姉妹艦フランス、リベルテ級ジュスティス、ダントン級ヴェルニョーとミラボーと3 隻の砲艦ともに叛乱を起こし、乗員らはインターナショナルやラ・マルセイエーズを歌って赤旗を掲げ、勝手に戦線を離脱した。この事件により、フランス海軍の黒海からの引き上げは早まった。

蜂起を鎮圧したのち、ジャン・バールは1920年にトゥーロンへ帰還し、1935年からは海軍兵学校生の訓練艦として使用された。1936年にはオセアンOcéan)と改名された。

オセアンは1942年11月27日にフランス軍によって自沈処分され、ナチス・ドイツ軍によって捕獲された。当時すでにオセアンは老朽化のため外洋に航行する能力は持たなかった。オセアンは1946年にスクラップとして廃棄された。

関連項目

  • フランス海軍艦艇一覧
  • ジャン・バール (戦艦・2代)

World of Warships Museum Jean Bart World of Warships

フランス海軍 戦艦 ジャン・バール 1955 (プラモデル) 画像一覧

WWII 仏海軍リシュリュー級戦艦 ジャン・バール 1955 (プラモデル) 画像一覧

フランス海軍 戦艦 ジャン・バール 1955 (プラモデル) 画像一覧

圧倒的超火力!最強の瞬間火力を有する戦艦ジャン・バールを紹介します!【アズールレーン】 YouTube