南部 利淳(なんぶ としあつ、明治17年(1884年)6月25日 - 昭和5年(1930年)1月1日)は、戦前日本の華族。南部家第43代当主で、最後の盛岡藩主南部利恭の次男、先代当主南部利祥の弟。爵位は伯爵。

経歴

明治38年(1905年)、日露戦争で戦死した兄利祥の跡を継ぎ、南部家第43代当主となる。東京帝国大学在学中の明治40年(1907年)に旧鳥取藩主池田輝知侯爵の三女嚴子と結婚し、一男一女をもうける。

利淳夫妻は芸術に造詣が深く、利淳は彫刻や書道、嚴子は日本画や竹細工などをたしなんだ。また、夫婦で黒田清輝、五味清吉、石川寅治などの画家から洋画を習っている。大正3年(1914年)には盛岡に「南部鋳金研究所」を設置し、東京美術学校鋳金科出身の松橋宗明を所長として迎えるなど、南部鉄器の改良発展に貢献した。また、学生への給費制度を設けるなど、人材の育成にも貢献した。

昭和3年(1928年)に長男南部利貞が18歳で死去したため、昭和4年(1929年)に一條實輝公爵の三男實英(利英と改名)を長女瑞子の婿養子として迎えた。

昭和5年(1930年)1月1日、胃潰瘍により急逝した。享年45。

栄典

  • 1905年(明治38年)5月30日 - 従五位
  • 1914年(大正3年)6月20日 - 従四位

関連項目

  • 小野寺信 - 陸軍士官学校卒業時、小野寺は同郷で盛岡藩旧主に当たる南部利淳から刀を拝領しており、この軍刀は後にストックホルム引き揚げの際に政府に寄贈した。


脚注

参考文献

  • 岡部伸『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』新潮選書、2012年。ISBN 978-4-10-603714-6。 



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