藤原 遠理(ふじわら の とおまさ、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。藤原北家良門流、大蔵大輔・藤原善理の子。官位は従四位下・若狭守。

経歴

円融朝にて右近衛将監を務める。一条朝で雅楽頭に任ぜられたほか、一条・三条・後一条朝の10年以上に亘って大膳大夫も務めている。

篳篥の名手で、寛弘4年(1007年)左大臣・藤原道長の春日詣で篳篥を奏したほか、寛仁元年(1017年)藤原頼通の任大臣大饗でも召されて、道長に「篳篥上手也」と評されている。

治安元年(1021年)若狭守として受領に転じる。万寿2年(1025年)上総介・藤原為章や淡路守・源信成とともに、国司の任期終了後に官物納入や公事を済まさず出家したため、財物をもって弁済するように勅を受けた。

官暦

  • 天元5年(982年) 6月3日:右近衛将監
  • 時期不詳:雅楽頭
  • 寛弘元年(1004年) 正月5日:従五位上
  • 寛弘4年(1007年) 2月28日:見大膳大夫
  • 寛弘5年(1008年) 2月:兼尾張権介、雅楽頭如元
  • 長和5年(1016年) 3月2日:見四位
  • 寛仁元年(1017年) 3月4日:見大膳大夫
  • 治安元年(1021年) 6月27日:若狭守
  • 万寿2年(1025年) 日付不詳:出家

系譜

『尊卑分脈』による。

  • 父:藤原善理
  • 母:不詳
  • 妻:橘敏通の娘
    • 男子:藤原成親
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原資経

参考文献

  • 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年
  • 『古記録と日記上』思文閣出版、1993年、97p
  • 『本朝世紀』1898年、經濟雜誌社 、236p

脚注

外部リンク


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