藤原 康二(ふじわら こうじ、1976年1月13日 - )は、日本のプロボクサー。グリーンツダボクシングクラブ所属。大阪府堺市出身。堺市立深井中学校卒業。

長身の左ボクサーファイターで、切れ味鋭い左ストレートと右フックで高いKO率を誇った天才肌のスラッガー。

実績

  • 元日本フライ級1位
  • 元OPBF東洋太平洋フライ級2位
  • 元WBC世界フライ級10位

来歴

1991年に鳳商業高等専修学校のボクシング部でボクシングを始めるが、同校を12月で中退。翌年1月にグリーンツダボクシングクラブに入門。

1993年6月21日、大阪府立体育会館にて、三階級制覇を目指す井岡弘樹(グリーンツダ)のWBA世界フライ級タイトルマッチの前座でプロデビュー戦を2RKO勝利。

1994年7月31日、デビューから5連続KO勝ちで、6戦目に後のWBA世界スーパーフライ級王者となる戸高秀樹(宮崎ワールド)と対戦し、1R終了間際に戸高の放った2発のパンチで2度倒れ、1RKOで敗れる。

その後は、元WBC世界ストロー級チャンピオンのナパ・キャットワンチャイ(タイ)を含む、国内外の選手を相手に15連勝を飾る。

1997年には、ランキング1位の指名挑戦者として、王者のスズキ・カバト(新日本大阪)と日本フライ級のチャンピオンカーニバルで対戦する予定であったが、体調不良により欠場する。その代役に当時グリーンツダ所属の同門であった徳山昌守(金沢)が急遽出場した。それを機にフライ級からスーパーフライ級に転級。

2000年4月20日、大阪府立体育会館でOPBF東洋太平洋スーパーフライ級タイトルマッチの前哨戦として、比国フライ級王者のユージン・ゴンザレス(フィリピン)と対戦。6Rに強烈な右ストレートを浴びてKO負け。

同年10月2日、比国ランカーのアルフラン・ブララ(フィリピン)を相手に再起戦を判定勝ちで飾る。

2001年4月24日、後の日本スーパーフライ級王者、田中聖二(金沢)と対戦するも、相手のアウトボクシングに苦戦を強いられて、判定1-0(78-76、77-77、76-76)の引き分け。

同年11月23日、7ヶ月ぶりに名古屋のホープ、小縣新(松田)と対戦、一度は左ストレートでぐらつかす場面もあったが、中盤から後半にかけてスタミナ切れで失速し、判定0-3(94-98、93-98、94-97)の大差で敗れる。その後、ボクシング界から姿を消す。

2006年12月1日、小縣戦から約5年ぶりにカムバック試合を敵地タイ国ノンタブリーにて、元WBC世界バンタム級チャンピオンのウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)と拳を交える。2R以降、ウィラポンの徹底したボディ攻めに遭い、3RTKOで敢え無く敗退。

結局、タイトルマッチは一度も実現することなく、この試合を最後に引退した。

戦績

プロボクシング:26戦21勝(16KO)4敗1分

脚注

関連項目

  • 大阪府出身の人物一覧
  • 男子ボクサー一覧
  • グリーンツダボクシングクラブ
  • 堺市立深井中学校

外部リンク

  • 藤原康二 | Facebook
  • 藤原康二 - らんぶるライフ - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分)
  • 藤原康二の戦績 - BoxRec(英語)
  • グリーンツダボクシングクラブ公式サイト
  • ウィラポン戦1R - 2R
  • ウィラポン戦2R - 3R

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